| 1968/夏前後? |
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| 【後日追加】 アニキが撮影したネガが出てきて、その中に455系のコマがいくつかあったので、 いったん紙焼きにして、それをスキャンした。 この写真は、下り「第1つくし」(201M)でほぼ間違いない。 当時の時刻表で確認してみたら、アニキは列車順の通りに撮影しているのが分かっておもしろかった。 撮影地点は山陽本線の14kp。他のコマで14kpが写っているのがあり、その地点で各列車の先頭やケツを撮影しているので間違いない。 垂水駅から西へ900mほどの地点だ。 当時は神戸市垂水区に住んでいたので、アニキは時々撮影に来ていたと思われる。 なお、先頭車の列車番号表示が「104」になっているのがフシギ。 ※撮影時期について: 列車順どおりに撮影しているこのネガの他のコマに581系「みどり」が写っていることから、 1967(昭和42)年10月~1968(昭和43)年09月なのは間違いない。 非冷房の車両の窓が開いていることから、暖かいか暑い時期と思われる。 そして、午前中から撮影していることがネガのコマから分かるので、日曜日か祝日か夏休みだろう。 そこで、まず、ダイヤ改正直後の1967/10の前半について、気象庁のページで調べてみたら以下のとおりだった。 1967/10/01(日)09:00 22.4℃ 曇り 1967/10/08(日)09:00 18.9℃ 晴れ 1967/10/10(祝)09:00 18.5℃ 曇り一時雨 1967/10/15(日)09:00 18.5℃ 晴れ この記録によれば、窓を開けるほどの気温ではないと思われるので、 この写真の撮影は、翌年の1968(昭和43)年の夏前後とみるのが適切な気がする。 この写真の先頭車は指定席で、1枚下の最後尾は自由席だ。 窓の開き方が大きく違っているが、これは、指定席は空いていて自由席は混んでいるためと思われる。 |
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| で、フシギなのがこの写真。 1枚上の「つくし」の写真の次のコマだから、この「つくし」のケツ側だ。 関西では走っていなかった「ぎんなん」」の表示になっている。 単純な間違え? |
| 1979/10頃? |
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| 東北本線松島駅構内に留置してあったサハシ455。 何両か置いてあり以前から見つけていたので、この車両を撮影するために隣の塩釜から乗車したはずだ。 小学5年ぐらいのガキンチョの俺が、「オリンパスPEN S」で一所懸命撮影した。 電車が揺れたりカメラがハーフサイズだったりと条件があまりよくなかったとはいえ、 電車が松島駅構内に入ってから到着するまでの僅かな時間で3枚撮影していた。 帰りの電車からも撮影していそうなものだが、ネガに記録がない。 これは多分、フィルムを温存するために松島到着時の撮影で終わらせてしまったのではないかと考える。 この車両は「サハシ455-14」の車番が読み取れる(ネットの情報では1980/08/25廃車。)。 俺が幼稚園児の頃、新幹線「こだま」に乗ったときにビュッフェに連れていってもらって以来、 ビュッフェや食堂車が大好きになってしまった。 急行のビュッフェはこのサハシ455に限らず経験することはできなかったが、独特の窓の配列にハァハァしたのだった。 この画像は、発掘した退色がひどいネガをオモチャのような写真化ソフトでJPG化したもの。 それにしてもひどいですね…。 いずれ、もしもっとちゃんとスキャニング・色補正などできれば差し替えます。 |
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| これは松島駅のホームに差しかかったところ。 今から思えばホームから落ち着いて形式写真が撮影できたのだが、 当時はそんなこと考えなかったんだろうね。 |
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| 【後日追加】 1枚上の写真の紙焼きを見つけたので、それをスキャンして色補正してみた。 |
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| 車番はサハシ455-21のように見える(ネットの情報では1980/08/25廃車。)。 |
| 1979/夏? |
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| 仙台に到着した「もりおか1号」。 発車を撮影した次のコマ↓の列車番号と発車時刻から確認した。 同じネガのこのコマより前に1978(昭和53)年10月から採用された「絵入りヘッドマーク」の「みちのく」が写っていることと、 車掌さんや客の服装からして、撮影は多分1979/夏。 |
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| 「もりおか1号」が盛岡に向けて出発していった。 次の停車駅は塩釜です。 |
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| その塩釜で撮影した「もりおか2号」。 2両目のロザから降りる客の服装からすると、季節は寒い頃のようだ。 |
| 1980/03/23? |
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| 1515Mの表示があることから、これが正しければ「くりこま3号」だ。 線路際に雪があるし、このコマより前には雪がたくさんある中で撮影しているので、この写真は恐らく春先と思われる。 すると撮影日は、1980(昭和55)年03月23日か。 撮影場所は12:30着の盛岡駅? この日なら俺は盛岡にいるし。 バックに写っている操車線の方向や、影の具合からしてもそんな気がする。 |
| 1980/03 |
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| 目次のページで、"俺にとって急行といえば「くりこま1号」"と書いたが、 「きっぷはあったっけかな?」と思い、収集箱をひっくり返してみたら 1980(昭和55)年3月のを見つけた。 しかし、列車は、盛岡への行きが「もりおか1号」で、帰りが翌日の「くりこま6号」だった。 この写真のこども用の他にも、親(おそらく今は亡きおふくろ。)用の大人のきっぷも連番で残っていた。 この年の3月末に名古屋に引っ越しているので、 今は亡きオヤジの転勤が決まり、おふくろの実家の盛岡から遠くなることから、 たった1泊だけど盛岡に挨拶がてら遊びに行ったんじゃないかと推測する。 いつもなら朝の「くりこま1号」なのだが、これは昼過ぎの「もりおか1号」だ。 この日は土曜日なので、俺が小学校から帰ってきてからの出発に設定したんじゃないかと思う (当時は土曜日は午前に授業があったし、時期的にもしかしたら終業式?)。 興味深いのは、発行所が仙台駅旅行センターであること。 発行日の3月16日は日曜日なので、オヤジと仙台に遊びに行ったときに買ったんじゃないかと思うが、 みどりの窓口ではなく、なんで旅行センターだったんだろう。今となってはもう分からない。 ただ、この盛岡往復の急行券の他にも、同じ日に発行された 仙台~上野の寝台急行「新星」と、東京~名古屋の「ひかり」のきっぷもあったので、 まとめて買ったんだということは確認できた。 ※急行「もりおか」は、ネット情報によれば、453系だ、455系だといろいろあったが、 俺にとっては「交直流急行色」の電車であれば、ど~でもいい(笑)。 結局、何回も乗った「くりこま1号」のきっぷはなかったので、盛岡駅で素直に駅員に渡していたんだろうね。 |
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| こちらは、翌日の盛岡からの帰りの「くりこま6号」のきっぷ。 「6号」は、「1号」と対で、全車指定席の列車だったね。 下車する塩釜駅は規模が小さいので、 急行が到着した直後に乗車券だけでシレッと改札を抜けるということはまず不可能だから、 このきっぷはどうやって確保したのかナゾだ。 正直に駅員さんに「記念にください」とでもお願いしたのかな~。 ところで、急行料金はともかく、指定席料金は 2022/11現在の530円(通常期)と基本的に変わっていないんだね。 当時としては結構な金額だったのかもしれない。 |